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7.裁定のアラベスク


 劇場の屋根に、ふたつの影がある。舞台上の物語に一喜一憂していた観客たちは、劇場の外で立ち話に興じたり、込み上げた涙を拭っていたり、明日の生活の為に足早に帰路についたりしながら、夜道に影を揺らしていた。それを見下ろしながら、ロクスブルギーは口を開いた。

「良かったのか? 早々に客の前から姿を消して」

「さすがに今日はゆっくり語り合いたいですからね」

 主演という大役を演じ終えた若い吸血鬼は、ロクスブルギーの姿を上から下まで眺めてから、軽く首を傾げた。

「我が王――少し小さくなられましたか? 角が無いせいでそう感じるのでしょうか」

 軽妙に返すリドヴァンに、ロクスブルギーは苦々しい顔で言葉を返す。

「……王と呼ぶのはやめろ。相応しくない呼び名だったし――今はもう、その国も無い」

「――そうですね。我々の国は滅んだ」

 沈黙を、夜風の鳴る音が掻き消す。風が止んだ後、再びリドヴァンは話し始めた。

「最近、モスカータにも会いました。良い住まいを見つけたようです。相変わらずでしたよ」

「彼の図太さなら、どこでも良い住まいになるだろうな」

「間違いありませんね!」

 声を上げて、リドヴァンは笑う。そこまでを話して、ロクスブルギーは口の端をぐっと一度引き結び、重々しく問いかけた。

「……『あの後』は、どうした?」

「……と、言いますと?」

 白々しく薄ら笑いを浮かべて、リドヴァンは問い返した。質問の意味するところは分かっているのに、直接それを聞きたがっているようだった。

「ガリカの身体は、どうした」

 再度の問いに、今度こそ軽薄な男は応えた。

「『彼女』の指示通り、皆で方々へと埋めました。ああ、全く恐ろしい女ですよ。どうすれば、あんな残酷な方法を思いつくのか……」

 自分の肩を抱いて、わざとらしくリドヴァンは震えてみせる。ロクスブルギーは、そうか、と一言返して空を仰いだが、その瞳は月を見てはいない。虚ろな深淵を見つめるかのように、過去の様々な因縁を見つめていた。

 『吸血鬼』は、ほとんど不死身である。完全な死を与えることは不可能に等しい――だが、もしも。目が見えず、口もきけず、動けもしないのならばどうだろうか?

 それは死んでいるのと同じことだ。故に、刻んで、刻んで。その身体が寄り集まり再生することのないように、それぞれを離れた地に埋葬した。この地上を極夜で覆わんとした吸血鬼の『王』だったものは今、どこかの冷たい土の下で死んでいる。

 その『王』に反逆し、四肢を斬り刻んだものこそ、『茨の君』――刺し穿つが如き、猛毒の血を持つロクスブルギー。そのことは、多くの同胞が知るところだった。

「彼は、僕を憎んでいるだろうな」

 ロクスブルギーの声は淡々としている。哀悼、あるいは郷愁。あるいは、懺悔にも似た何か――その胸の内は一言で言い表すことのできない、多くの感情が渦巻いているようだった。月明かりが縁取る横顔は、そのいずれでも歪むことはなかったが、かえって悼ましさを引き立てるばかりだった。何百年生きても、彼はその感情をどう表せば良いのか、分かっていないのだ。

「貴方が『棺』で眠っていたのは……『王』に殉じる為ですか?」

 訊ねられて、ロクスブルギーは目を見開く。肯定も否定もせず、しばし考えてから答えた。

「……どうだろう。そう考えたことはなかった。ただ、全てに疲れていた」 

 遠く、夜の地平を見つめながら、彼は言葉を継いだ。

「僕の血は同胞にすら『死』を与えたが、僕にだけは、それを与えない。だから――眠るしかなかった」

 息を殺し、鼓動を止めて。形式的なものに過ぎないとしても、かりそめの死という安らぎを欲していた。定命のものには決して理解し得ない、永い夜を渡るものの辛苦が、ある。

 再びの沈黙。その重苦しい空気をものともせず、若い吸血鬼は口を開いた。

「貴方がかつての行いをどう感じるべきかは、ボクには分かりませんが――」

 リドヴァンは大仰に、眼下の街路を抱擁するかのように腕を広げる。

「少なくとも、この光景は――貴方が『王』を討たなければ見られなかった!」

 同じ景色を、ロクスブルギーは見下ろす。人々は疎らになりながらも、まだ夜の街を歩き、そして語らっている。時に脅かされることはあれど、彼らの――人間の生活は、自由であった。彼らの自由が、多くの文明を齎した。それはおそらく、身一つで生き永らえ続ける『吸血鬼』には、決して成し得ないことだ。

「ボクは今の生活が好きです! 貴方も、そうなのでは?」

「今の、生活――」

 友とふたりの穏やかな日々。血で血を洗う争いとはほど遠く、過ぎ去る時間の一分一秒を惜しむような。彼が――ルーがいなければ、こんな生活をすることはなかっただろう。

 嬉しくて、寂しい。愛おしくて、切ない。

 この感情の名前は、知っている。

「それで良いではありませんか。――楽しみましょう。飽いてもなお、飽くほど続く生なのですから」

 怨嗟を纏い、悲嘆を積み重ねて――いつか、過去の全てが報いを与えに来るとしても。あの争いの果てに今があるのなら――悔いはない。

「……そうだね」

 穏やかなロクスブルギーの応答ののち、柔らかな沈黙があり――おもむろにリドヴァンが切り出す。

「ところで――あの審問官様との馴れ初めをお聞きしても?」

「……別に、ただ何年かの縁があっただけだ」

「ハハハ、その程度で他人を傍に置くほど、貴方は気安くないでしょう」

 ロクスブルギーは、口を引き結んで渋い顔になった。好奇の視線が、無遠慮に突き刺さる。邪気の無いその様子を見ていると、ああ、彼女の子なのだなということをよくよく感じる。とにかく、好奇心の赴くまま他者の内心に踏み入るのだ。

「彼は一体どんな言葉で、貴方の棘を取り除いたのでしょう? ボクはとても興味がありますよ」

 渋い顔の『茨の君』は、冷ややかな視線を向けたかと思うと、瞬きの間に若い吸血鬼の舌を――無論すぐに再生するが――引き抜いてしまった。リドヴァンは声にならない悲鳴を上げて、『口は災いの元』という故事を思い出す。

 しかし――冷たい視線に混じった嫉妬とも羞恥ともつかない感情が、ロクスブルギーの内心を言葉以上に表していたことは、内緒にしておいた。